原告団長からご挨拶


  被爆の実相をふまえ

   黒い雨被爆者の権利回復を速やかに

 

 「黒い雨」第2次訴訟原告団長 岡久郁子

 (2023年7月18日「黒い雨」第2次訴訟口頭弁論での「意見陳述要旨」より)

 

 私が4歳の時でした。佐伯郡砂谷村大字白砂字古塚という爆心地から約20㎞の山間地へ疎開していました。あの日、ブヨにかまれた私たち姉弟は、祖母に連れられ村の診療所に通っていました。たどり着いた時、大きな爆発音がして焼け焦げた紙くずやゴミがたくさん降ってきました。祖母が、母に「黒い雨が降ってのう」と話していたそうです。

 2015年11月、黒い雨に遭った原告らが広島地裁に提訴しました。私は当時、母の在宅介護中であったため忙しく参加は見合わせましたが裁判を応援してきました。原告全員を被爆者と認める広島高裁判決後、被爆者健康手帳を申請しました。甲状腺異常を指摘されていましたが、経過観察中のため診断書は添付しませんでした。1年後に届いた却下通知書には、「黒い雨に遭ったことは確認できる」が、「被爆事実の確認ができない」とありました。黒い雨による内部被曝をまるでなかったことにするような対応です。

 支援する会では各地で手帳の申請手続きを手伝い、私も1人でも多くを救おうと努力してきました。「夫の看取りが済むと、今度は自分が次々ガンにやられている。手続きをしたくても動けなかった、やっと方法がわかった」とうれし涙を流す方もいました。

 黒い雨被爆者は78年もの間、放置されていたのです。自分の利益になることだから自己申請に任せると突き放していいものでしょうか。手帳の申請書は、「お恵みを与えてやるんだ。文句を言わず、手続きのハードルを乗り越えてこい」という「お上意識のカタマリ」のように見えます。

 私たちに残された年数は短いです。広島県・市には、一刻も早く処理するようお願いしたいです。手続きから取り残されている数千人の人をどう救うのか、方針を示していただきたいです。行政が、高齢の病気持ちの被爆者が死んでいくのを見ているだけでは、あまりにむごすぎます。裁判所には、広島高裁判決をないがしろにしようとする動きに対し、被爆の実相を踏まえた、被爆者援護法のあるべき姿が示されるような審理をお願いします。


控訴審開始にあたって

原爆「黒い雨」訴訟原告団長 高野正明

2020年11月18日

 

 7月29日、広島地裁は、原告84名全員について、被爆者健康手帳の交付を命じる判決を言渡しました。原告・支援者だけでなく「黒い雨」地域で健康被害に苦しんでいる人たちをはじめ驚くほど多数の人と団体から共感と喜びの声が寄せられました。広島県と広島市は、私たちの控訴断念と早期救済の要求を踏まえ控訴断念の方針を決め、国に控訴断念を認めるよう交渉を続けました。

 しかし,国は不当にも控訴しました。これに対して全国から抗議と撤回を求める声が上がりその数は100近くに及んでいます。しかも国は,健康診断特例区域の「検証」を行うといい,「検証」に関する「検討会」を組織し,先日(11月16日)第1回の会合が開かれました。しかし、国は、私たちの要求を「科学的・合理的根拠がない」として40年以上にわたって拒否し続けてきたのです。これに期待することはできません。

 私たち「黒い雨」被爆者に残された時間は僅かしかありません。控訴審でも、私たち「黒い雨」被爆者を早く「被爆者」と認めていただくよう心から願っています。

 

 


「黒い雨」訴訟 提訴にあたって

原爆「黒い雨」訴訟原告団長 高野正明

 

広島原爆「黒い雨」被害者は政府が大雨地域を被爆地域に指定した後、県連絡協議会を結成して37年にわたり、地域拡大の要求運動を続けてきましたが、政府は受け入れませんでした。そこで、連絡協議会は2014年秋に訴訟の方針を決め、その準備を1年間進めてきました。おかげさまで、「黒い雨」被害者64名の方が原告団に参加されて、8名の強力弁護団の編成で2015年11月4日に広島地裁に提訴することができました。

 私たち原告団も弁護団と力をあわせ、高齢をおしてがんばりますので大きなご支援をどうぞよろしくお願いいたします。